政治と統一教会の癒着の歴史に終止符を。

「森会長の時にスキームはあった」「岸田は首相の座を追われる」下村博文元文科相の大放言(FRI DAY DIGITAL)

報道紹介
2024.05.21

毎月1回、板橋区にある事務所に支持者を招いて講演や懇親会を開く「若手博文会」という舞台がそうさせたのか――3月25日、自民党の下村博文元文科相(69)は饒舌だった。3月18日の政倫審(政治倫理審査会)で説明に立った際は、政治資金パーティーでの裏金問題について「知らない」「分からない」を連発。重かった口がこの日は実に滑らかで、次々と“新事実”を明かしたのだった。

下村氏の大放言を紹介する前に、裏金問題に関するこれまでの彼の言動をザッと振り返っておこう。安倍派元幹部の西村康稔氏(61)が政倫審で語ったところによれば、’22年4月、安倍派の幹部会合で会長の安倍晋三元首相が派閥パーティー券の販売ノルマ超過分のキックバック中止を提案。いったんは廃止されたものの、安倍元首相の死後に派閥内から復活を求める声が上がり始めたため、8月に西村氏、下村氏そして塩谷立氏(74)、世耕弘成氏(61)の幹部4名で協議。その場では結論は出なかったが、8月中にキックバックが復活したという。

一方、下村氏は今年1月に記者会見を開き、’22年8月の安倍派幹部会合で「ある人」から「派閥パーティー券の販売ノルマを超えた分について、議員個人のパーティー売り上げに上乗せする形でキックバックする案が出た」と踏み込んだ発言をしたが、政倫審で自民党・井出庸生氏(46)に「ある人とは誰か」と問われると「覚えていない」と答えるにとどまった。

同じく政倫審で、立憲民主党の寺田学氏(47)が安倍氏の死後に森喜朗氏(86)が岸田文雄首相(66)と会食して安倍派の有力者5名――いわゆる“5人衆”を重用するよう求めたとする報道に触れ、「森氏は派閥運営に大きな影響力を持っていたのではないか」「“5人衆”のバックに森氏がいるのではないか」「森氏が安倍派(当時は森派)会長だった1999年の政治資金規制法改正を機にキックバックが始まったのではないか」とたたみかけたが、下村氏は「承知していない」「分からない」と回答。

公明党の中川康洋氏(56)が、’05年に静岡新聞が安倍派(当時は森派)のキックバック疑惑を報じていると指摘。「本当にキックバックの存在を知らなかったのか」と問うても、下村氏は「私の選挙区は東京なので。東京のメディアでそういうことを発信したところはなかったと思います」とけむに巻いた。

5人衆に含まれず、発言しやすい立場にあるはずの下村氏は裏金問題解決のキーマンと目されていたが、知らぬ存ぜぬを繰り返したことで、落胆の声が広がったのは周知の通り。

だが、しかし――政倫審でダンマリを決め込んでいた下村氏が、件(くだん)の若手博文会では雄弁に裏金問題を語っていたのである。

では、「若手博文会」での下村氏の発言を紹介しよう。

まず、キックバックの復活を提案した「ある人」については「二人いる」と述べている(※以下、「」内は下村氏の発言。極力、本人がしゃべったままに再現しているが、話が前後したり単語等が抜けている箇所は、事実関係は変えずにフライデーデジタルが再構成した)。

「『ある人』は個人名じゃなく、二人から話があった。でも、最初にどっちが話したかは確信的には言えないし、西村さんも『自分じゃないです』って言ってるから。私が『ある人』は西村さんだと思ってた、みたいなことを言ったら野党にいい(追及)材料を与えるようなもんですから、それは『分かりません』『覚えていません』と。隠しているのではなくて、確証が持てる話ではないからそう申し上げたんですね。

そもそも還付(キックバック)そのものは復活すべきではない。だから結論は出なかった。ただ、還付はしないけども、議員個人がパーティーを開いた時に合法的な形で派閥がパーティーチケットを買う上乗せ案が出たことは事実です。でも、その後にですね、還付は復活しているんですね。復活していることに対して、私自身がそこに立ち会ってないし、私がいるところで決めていない。誰がいつ決めたか分からないのはその通りで、そう申し上げました 」

寺田氏から質問が出た5人衆、安倍派でキックバックが始まった時期については、こう説明している。

「今回の一連の(調査の)中で、少なくとも1999年~’05年、森会長の時にそういうスキームを作ってやっていたんだなって 、今はそういう風には認識してい ます。政倫審の前、検察に話をした時はそれは全然知らなかった。そもそも、キックバックっていいますかね、自分が還付を受けたのはコロナになってから。’19年以降の話なんですね。それ以前は全然知らなかった。収支報告不記載が問題だと知ったのは昨年12月です。

立憲の寺田学代議士に『(キックバックが)復活したのは5人衆がいて、5人衆のバックに森さんがいて、森元総理の時に始めた話だから、そういう形(復活)にしたんじゃないの?』というようなことを言われました。多分、その通りでしょう。その通りでしょうけど、もし国会でそんなことを言ったら、それはもう大騒ぎになりますから。私の知らないところで決まったことに対して、無責任な話になりますから。だから、そうは言えなかった。こういうところ(若手博文会)では言えますけどね」

’05年の森派のキックバックに関する静岡新聞の報道については、「地方新聞だから、東京が選挙区の私は知りませんでした。後で共産党の議員さんに『(記事は共同通信の配信で)東京新聞と神奈川新聞にも載っていた』と言われましたけど、『そもそも東京新聞は読んでいませんから、あんな左巻きの新聞』ってぐらい、念頭になかった」と一笑に付すのだった。

だが、この日、最も下村氏がヒートアップした話題は岸田政権についてだった。自民党執行部が安倍派元幹部の責任を重く見て、次回選挙時の「非公認」や「党員資格停止」「離党勧告」などの処分を検討していると報道されていることに触れ、「議員辞職や離党することじゃなくて、日本の政治を良くする。日本を立て直す。それを最後までやり切るのが私の責任」と語気を強めた。その後、下村氏は舌鋒鋭く自民党を斬りまくったのである。

「自民党は結党70年近くなるわけですけども、本来の保守政党としての政策をやってこなかった。憲法改正もしてないし、日米安保条約についても、集団的自衛権を含めた日米地位協定もそうです。

これだけ米軍基地が日本にあってですね、アメリカの大統領が日本に来る時、成田や羽田を経由しないんですよ。横田基地から来て、正式な通関なしで入国できるっていうのはですね、まさに日本が独立国家じゃない証でもあるわけですね。その間、羽田空港の飛行機の離発着が相当制限される。これが当たり前にできてしまっていることが、自民党が本来の保守政党ではないということでもある」

そうまくし立てた後、下村氏は「今の自民党では日本を立て直せない」と続け、近く党から自らに下されるであろう処分について語り始めた。

「次の選挙は自民非公認ということが決まるかもしれない。もしかしたら、それはチャンスかもしれないと思ったんですね。岸田総理は選挙をしたいと思っているかもしれませんが、選挙が終わった後は首相の座を追われる。それが分かっていて選挙をするとはとても思えないんですね。9月には総裁選があります。その時には新しい総裁が生まれるでしょう。若い総裁が生まれても、自民党は解党的に変わらないと選挙には負けますよ。来年7月には衆参同時選挙があります。それまでに立て直せなければ大分裂です。政界再編成もあるかもしれない。そうしなければ、日本は立ちいかなくなる」

「このピンチをチャンスにしてやっていきたいと思っております」と下村氏はスピーチをそう結んだ。

自民党の茂木敏充幹事長(68)は4月1日、裏金問題に関係した議員の処分について、党紀委員会に審査を要請。対象となるのは政治資金収支報告書の不記載などが5年で計500万円を超えた39人。下村氏ら安倍派元幹部については、離党勧告も視野に最終調整に入ったという。

この“チャンス”、下村氏はモノにできるだろうか。

取材・文:深月ユリア 慶応義塾大学法学部政治学科卒業。「深月事務所」代表。数々の媒体で執筆し、女優、モデル、ベリーダンサー、FMラジオパーソナリティーとしても活動。動物愛護活動も精力的に行い、テレビ神奈川の番組「地球と共生する、アニマルウェルフェア」を自社でプロデュース

FRYDAY DIGITAL 2024年4月3日掲載記事より引用
https://friday.kodansha.co.jp/article/366693